− 第8話「無邪気な弾丸」 −
走る。
チョコの甘味をエネルギーに、俺はひたすらに走っていた。
高校近くの住所だったのは幸いか、迷うことはない。
だが引き返す道程は精神に応える。後戻りしているようでもどかしい。
ということは、ここは数十分前に通った道だ。ならばこの先は――
一瞬の躊躇に、速度が落ちる。
頭の中でのマップには、紙切れの場所が民家に阻まれていることを告げていた。
迂回する時間が惜しい。
「ったく、本当に面倒くせぇ!」
足に力を集中させ、一気に爆発させる。
身体強化の能力はこんな時にこそ役に立つ。
風を切るというよりも、風をこじ開けるようだ。
「俺は、忍者の末裔だ!」
咆哮は力を生み出し、俺を空高くへと舞い上げる。
そのまま民家の天井に着地し、再び瓦を蹴った。
咄嗟の嘘が、こんな形で実現しようとは。
そして着地。家一軒程度を飛び越えるぐらいは、目立つこともないだろう。
最後に数メートルを駆け、俺は目的の場所へとやってきた。
市民体育館。
昼間は市民に広く開放されているはずの施設だが、周囲に人気はない。
門には臨時休業と札がかかっていた。普通ならありえない。
ここにいる、ということだが、一体どこに――
微かに、軽い何かが跳ねる音がした。
「やっぱ中か」
俺は断続的に続くその音に導かれるように、体育館の門に手をかけた。
¥¥¥
扉に鍵はかかっていなかった。おそらくは二人が入っていったからだろう。
周囲には無数の軽い衝突音が続いていた。これがUCIS能力によるものかはまだわからない。
俺は正体のわからない恐怖に備え、慎重にエントランスを進んでいく。
何故市民体育館なのかわからないが、こんなところで何をするのだろう。
その時、何かが頬を掠めていった。
小さく切れる頬に、俺は咄嗟に腕で目を庇い、飛んできた方向を覗き見る。
だが、目の前には壁しかなかった。
再びの弾着。飛んできた方向はまたしても壁だ。
その間にも、周囲からはそれと同じ音が無数と聞こえてきていた。
だが反響が大きすぎて、方向が定まらない。
おそらくは綾瀬が持っていたエアガンの弾だろう。狙いが逸れ、跳ねているようだ。
「とりあえず、関原はどこだ」
ドーム状のエントランスは中央の階段で東西に分かれている。
俺は売店を横目に、若干音が多いと踏んだ、東側へと足を進めた。
衝突音がだんだんと一点に集中していく。いや、移動しているのか。
俺はその音を追い、天を見上げた。
そこで、俺は目的の人物を見つけた。
半球状のホールの天井を、軽業師のように渡る関原。
それは言葉のままの意味で、まさしく走っていた。
足を天に、頭を地に向け、二つの足で縦横無尽に疾走している。
その呼吸は荒い。長時間走り続けているのだろう。
そしてそれを襲うのもまた、空間を支配するように四方八方と直進する弾丸の群れだった。
小さなBB弾は、関原の軌跡を追う様に天井に傷をつけていた。
「あれ、矢神のおにーさんだ」
目の前に、少女がいた。
俺に気付き視線を下げたのか、無邪気に微笑んでいる。だが右手の銃は未だ天井を駆ける関原を睨み続けていた。
「用事は終わったの?」
「あぁ。それで恋人を迎えにきたんだが、うちの姫さまを返してくれるか?」
「ごめんね。あたしの用事はまだ終わってないんだ」
綾瀬はさも当然のように、銃を撃ち続けている。これは曲者だ。
俺は一歩前に出る。その瞬間、銃口がこちらを向いた。
「失敗したらおしおきだって。これってものすごくプレッシャーだよね。イライラするよ」
「そのおもちゃには、対象年齢があるんだがな」
「年はクリアしてるよ?」
「対象年齢ってのは、人に向けて撃つなってわかる年のことだと思うんだが?」
「わかってるけど、それとやるのは別だよ、おにーさん」
綾瀬の無邪気な顔は崩れていない。
銃口はこちらを向いている。ここまで引き付けているのだ。関原は逃げているだろうか。
俺はため息をつき、前に出していた足を戻した。
それに満足したのか、綾瀬は再び銃を上に向けた。
「あーっ! おねえちゃんに逃げられちゃったじゃない!」
「それは俺の知るところじゃないがな」
「あーもう! イライラするなぁ!」
「牛乳はオススメだぞ」
俺は一先ずホッと胸を撫で下ろした。どうやらうまく隠れたらしい。
綾瀬が地団太を踏んでいるところを見ると、相当怒っているようだ。
だが何故だろう。逃げられたというのに、悲壮感というものが感じられない。
さて、ここで今回の勝利条件を確認しておこうか。
基本は芥川の時と変わらないが、関原を助けるというものが加わる。
しかしそうなると厄介なのが綾瀬の存在だ。
こいつ、どうすればいいんだ?
うまく逃げられたとしても、こいつはまた襲ってくるだろう。
だから関原が口封じをしようとまで言っているのだ。
かといって捕らえるのも非現実的だ。
なにせ、もう俺にはチョコがない。補充した分も先ほどの移動で消費してしまった。
綾瀬はすでにBB弾を補充しようと、鞄を漁っている。
取り出すと、その手には数本のマガジンが握られていた。
やる気は満々。退く気はないようだ。
「仕方ないか。一応あいつとは恋人らしいからな」
「どうしたの? おにーさん」
「危ないおもちゃを、ないないしようと思っていたところだ」
瞬間的に、能力を爆発させる。
一気に間合いを詰め、驚く綾瀬をよそにBB弾の詰まった細長いマガジンを奪い取る。
そのまま拳銃に手を伸ばそうとしたが、綾瀬の銃が火を噴き、後退を余儀なくされる。
一発当たった左腕は、衝撃で痺れていた。BB弾の威力ではない。
UCIS能力だ。
「おにーさん、能力者だったの?」
「いや、忍者の末裔でな。ちょいとばかし忍術が使えるんだよ」
「ほんと!」
「信じてくれて何よりだ」
右手でマガジンを弄ぶ。おそらく弾は二十発ほどだろう。
俺は背中に悪寒を感じた。避けきる自身はない。
「返してくれないと困るよー。それで最後なんだよ?」
「悪いな。恋人は助けなきゃいけないって相場が決まってんだよ」
一蓮托生。そんな意味じゃ恋人よりも深いかもしれない。随分と一方的な関係だが。
綾瀬が、小さく笑った。
「本当に、イライラするなぁ」
瞬間、俺は飛び退いていた。
銃口から射出された小さな球体は、正確に俺の足下に目掛けられていた。
床が凹み、衝撃が空気を走る。肌に加わる圧力は確かに弱い。だがやはりBB弾の比ではなかった。
先程より威力が上がっている――
「嘘だろ!」
そして直後に、俺の左手に刺すような痛みが流れる。
BB弾が、俺の肌に当たっていた。
ちらりと見ると、肌は赤く腫れている。BB弾の威力を物語っていた。
「へっへー。どんどん行くよ!」
綾瀬の笑顔で、結論が出た。戦うのは無理だ。
俺は逃げ出した。
「くそっ! 芥川といい、こいつといい、どうして遠距離攻撃なんだよ!」
「あ! おにーさん、待て!」
綾瀬は逃げる俺を追いかけてきた。
カロリーがないので能力も発動出来ず、なかなか距離は稼げない。
だが男と女、高校生と小学生だ。小学生だよな? 徐々に距離は離れている。
けれど発射するBB弾を避けながらの逃走は骨だ。
「待てー!」
「くそっ! 関原はどこだ!」
完全に矛先がこちらを向いてしまった。すでにここから逃げていたら泣くぞ。
綾瀬の弾はどんどんと威力が上がっていく。
生身で喰らえば危ういかもしれない。
芥川が、綾瀬は容赦しないとか言っていたが間違いだ。
こいつはただ感情をぶつけるだけで、手加減が出来ないだけだ。
そして、俺は壁際に追い込まれた。
「おにーさん、覚悟してね」
「ちょっとそれは勘弁してほしいな。痛いのは嫌いなんだ」
「駄目だよ。邪魔しちゃったなら、おにーさんでも駄目」
「わかった。弾を返すから見逃してくれ」
「あは、もう駄目だよ。だって――」
綾瀬の声が、一段とかわいらしくなった。
「ムカついたんだもん」
銃口からフルオートで射出されるBB弾。
俺はそれを、横っ飛びでかわす。勢いづき、その先の売店に突っ込んでいった。
「隠れても駄目だよ」
「恋人は助けなきゃいけないって言っただろ? きっと関原が助けに来てくれるさ」
「うーん、でも愛薄そうだしなぁ」
「ほっとけ!」
俺だって闇雲に逃げ回っていたのではない。今こそ反撃の時だ。
俺は売店の中で五百円を取り出すと、にんまりと笑った。
芥川の金が役に立つ時だ。
「さぁ、早く出てきてよ」
急かすような声に、俺は答えた。
「あぁ、出ていってやるよ!」
瞬間的に、俺の体が爆発するように動き出した。
跳躍する体は高く、そして速い。
それを追う様に綾瀬は視線で追いかけていくが、銃を向けるには遅すぎる。
俺はそのまま壁に足をつけると、再び爆発させた。
「忍者奥義! 三角跳び!」
腕を伸ばし銃口を向ける綾瀬。だが俺は、今度は天井を蹴りつけ、一気に地上へと着地した。
綾瀬の背後を取り、天高く突き出した綾瀬の右腕から銃を奪い取る。
俺の口の周りには、チョコがついていた。
「お釣りは、後で取りに行くんで」
カウンターには、先ほどの五百円玉が乗っている。俺の生活費だったのに。
急いで食べたからか、もったいないことをした。俺は口の周りを手の甲で拭うと、綾瀬に向き直る。
「さて、おもちゃはおにーさんに任せなさい。体育館なんだから、もっと健全な遊びをしような」
「むー! ムカつく! ムカつく!」
「言葉遣いがなってないぞ」
「おしおきなの! 失敗したらおしおきなの!」
喚く綾瀬を見て、俺はため息をつく。おもちゃがなければただの小学生か。
「おしおきは嫌なの! だから……」
綾瀬は子ども特有の、知らないが故の残忍な笑みを浮かべた。
「邪魔するなら……」
その言葉の意味を理解する前に――
見えない衝撃が、俺の腹部を殴りつけた。
嗚咽と共に崩れ落ちる。わけがわからない。
ただ目の前に笑顔の少女、そして膝を屈する俺がいる。それが事実だった。
近づいて来る綾瀬。やばい。やばい。やばい。
「死んじゃってね」