− 第7話「戦闘(決め手はいつもの」 −

 ――ここで、勝利条件の整理をしてみる。
 ひとつ。俺が無事であること。
 これは最優先だ。死ぬ、怪我をする、服を破る、どれも無ければ最高だ。
 ふたつ。俺が能力者だとバレないこと。
 『社会的に俺が無事であること』と言い換えてもいい。可能なかぎり全力でこれは満たしたい。
 みっつ。俺がもう狙われないこと。
 二つ目とかぶる部分が多いが、疑いを持たれたままでは面倒だ。
 と、ここまで条件を立てて、うむ、と頷いた。チョコ三つで足りるとは思えんなぁ、と。

「……いいか? 矢神・博司」

 眼前の男――キザ男(仮名)は、余裕ある動作で、スクーターに腰掛けている。
 そう言えばこいつ、意外と律義だ。人の話は聞かないが、約束は多分きちんと守るタイプなのだろう。
 とりあえず思考の時間稼ぎのため、よくない、と脊髄反射返答。
 仮定がいくつか出てきてしまうが、もしかしたら、二つ目くらいまでは何とかできるかも、と思った瞬間だ。

「そうか、もういいのか。分かったぞ、矢神・博司」
「だからよくないんだよっ!」
「そう言うな。認めればすぐ終わる」

 笑い、キザ男はスクーターの座席下から袋を取り出した。やたらとじゃらじゃら音を立てるそれは、なんだか、こう、不吉な予感しか。

「――なんだか分かるか?」
「考えたくないです」
「だからそう言うなよ、矢神・博司。――今からお前を痛めつけんとするものなんだからな」
「物に責任転嫁カッコ悪い!」

 直感が来る。とりあえず逃げろ、と。
 キザ男が袋に手を突っ込んで取り出したのは、銀色のパチンコ玉だ。

「さて、これは当たると少し痛いぞ。骨や歯が砕ける前に、UCISかどうか吐くがいいさ」

 なんだこの魔女裁判、と思うと同時。キザ男は、右手を軽く握りこんだ。
 小さいころ、ビー玉なんかで似たようなことをした覚えがある。弾くように飛ばす遊びだ。
 が、先ほどの五百円玉を考えると――

「――ッ!」

 腰を落として頭の位置を下げ、腕で胸と頭を守り、その姿勢で横っ飛びをする。
 全力だ。
 同時、背後でなにかが砕ける音。
 飛びながら確認すれば、廃墟の壁に放射状のヒビが見える。
 間違いなく弾痕。先ほどの五百円玉のコトと合わせて――キザ男の能力は、『何かを高速で投射する』能力!

「それが分かったからって……!」

 キザ男は、笑みながら銀弾の打ち込みを継続する。
 背を向け、とにかく走る。反復横跳びのように、だ。
 拳銃だって、相当に訓練を繰り返さないと当てられない。プロ野球選手だって、狙ったところに必ず投げられるわけじゃない。
 練習くらいしているかもしれないが、百発百中とは――と。声。

「なるほど。まあ、そうするよな」

 再度の直感。
 振り返ると、キザ男は両手にパチンコ玉を鷲掴みにしていた。
 まさか、と思うと同時、キザ男は右手を振りかぶり、

「だが、これならどうだ――!?」

 銀弾が撒き散らされた。
 高速。そして大量。
 アスファルトが砕け、窓ガラスが割れていく。
 キャッチは不可能だ。
 一つ、二つならばそれも可能だが、あいにく俺の手は二本で、ほぼ同時に飛来するパチンコ球は二十を超える。
 ランダムに跳ね回る兆弾が、体に食い込んだ。

「グ……!」
「はは、」

 もう一度、と、キザ男は左手を振りかぶる。
 二度目の散弾は、一度目よりも集中していた。
 直撃する。
 可能な限り身を小さくしたが、腹部から太ももに弾丸は集中していた。
 ローキックやらボディブローやらをまとめて十発は貰ったような痛みが来る。
 くぉ、と、苦悶が口から漏れ、膝が落ちる。
 だが、三度目の散弾はない。
 涙でにじむ視界だが、キザ男が何をしているかくらいは見えた。
 余裕の笑みを浮かべ、スクーターに腰掛けている。

「さぁ、吐く気になったか?」
「ああうんごめんなさい吐きます吐きます。俺小さい頃から忍者の末裔だっていう爺ちゃんに鍛えられてて普段は隠してるけど忍者みたいなこともできるんです」
「一瞬でそこまで嘘を言うなよ、矢神・博司」

 キザ男は愉快そうに笑うと、左手で一発パチンコ玉を飛ばした。
 落ちた膝の真横で跳ねて、また窓ガラスを割る。

「なにも取って食おうってんじゃない。女には、こんな手荒な手段もとらない」

 抵抗されない限りはな、と、キザ男は続ける。
 その左手には今もパチンコ玉の袋があり、右手は五つの玉を指運で弄んでいる。
 ……まずい、どころではない。勝てない。
 勝利条件は――全て達成できない、かも、しれない。

「さぁ――答えろよ、矢神・博司。お前はUCIS能力者か?」

 だが、と思う。
 あの女は、あのいけ好かない関原後輩は、なんと言っていたか。
 『私は、普通が、とても恋しい』――だったか。
 関原は、俺と同じような状況で、もう一歩ばかり、後戻りできない方向に、引きずり込まれている。
 あんな風にはなりたくない、と思うのは、後ろ向きすぎるだろうか。
 とにもかくにも、『普通じゃない』ってのは――きっと、面倒くさいだろう。
 それだけで十分。絶対拒否に足る理由だ。
 覚悟は完了した。口にするのはただ一言、否定の言葉だ。

「違う。俺は、UCISじゃない」

 言い捨て、立ち上がる。
 ハ、と、気合を入れるための息を吐き、上着を脱ぎ捨て右手に持つ。

「さっきも言っただろ。ヘンな事情で身体能力が微妙に高い、ただの馬鹿だよ」

 そうか、と、キザ男が笑う。
 嘲り交じりで、しかしどこか称えるような笑い方だ。
 キザ男はスクーターから立ち上がり、俺の方へと向き直る。

「ならば、口封じのため、少し痛めつけさせてもらおうか――!」

 右手が袋の中に入る。
 散弾が来るが、それについては右手の盾がある。
 その昔、戦国時代。陣に張られていた幕は、火縄銃を防ぐためのものだと言う。
 だったら、上着にだって同じことができるだろう。
 反応速度はともかく、体の速度が足りないってことはない。
 距離は二十メートル程度か。おそらく、防御は一度で済む。

「行くぞ、キザ男」
「来いよ、矢神・博司」

 クラウチングスタートに近い姿勢をとり、一気に駆ける。
 先ほどのようなジグザグ軌道で走らず、一直線を行く。

「お、お……!」
「は、そう来るか!」

 キザ男は全力で右手を振りかぶる。
 その右手には、袋を裏返す勢いで掴み取られたパチンコ玉。
 ぶちまけが来る。
 避けない。
 右手を振りかぶって、突っ込んでいく。

「だりゃっ!」

 拡散するパチンコ玉を、上着がからめ取った。
 右手を離せば、上着はパチンコ玉を抱いたまますっ飛んでいく。
 眼前に在るのは、余裕が僅かに凍ったキザ男の笑み。
 僅かに玉を残した袋が飛んでくるが、左腕で払って、さらに加速を行う。
 再度はない。
 すでにキザ男は無防備だ。

「テメェ、その財布の中身、俺の食費にしてやるぁーッ!!!」
「はは、面白いぞ、お前はッ!」

 キザ男が一歩下がる。
 だが、何をしようと間に合わない。既に俺は両拳を握りこみ、記憶が飛ぶまで殴りトバす覚悟も完了している。
 と。足元で、なにやら硬いものを踏んづけた感触。そしてつるりん、と滑る足。
 パチンコ玉だ。靴を履いているので足はあまり痛くないが、一瞬の停滞がある。

「お」

 眼前にはスクーター。
 おかしいな。
 スクーターのタイヤが眼前に、というかタイヤが妙に近づいて、

「あべしっ」

 飛んだ。
 とりあえず飛んだ。
 勢いよく縦回転する視界の中で見えたのは、転げるスクーターと、残念だったな、とでも言いたげなキザ男。
 ……スッゲー、飛んでるぞ俺、と。なんだかちょっと前にも思ったようなコトを思いつつ、俺は後頭部からアスファルトに落着した。

/

 目覚めは、とても不愉快だった。
 原因は、左耳上に来た強い衝撃だ。

「ぐぉっ!?」

 痛い。
 スゴく痛い。
 目は一瞬で冴えた。一気に周囲を見渡せば、相変わらず廃墟の中で、あまり時間は経っていないように見える。
 現状把握は、背中側からの声で途切れた。今となっては、関原後輩以上にいけ好かない声だ。

「起きたか、矢神・博司」
「テメェ――」
「テメェ、ではない。芥川だ。様を付けるといいことがあるぞ」
「下の名前はりゅーのすけか、あーちゃん」

 振り返りながら言った瞬間、こめかみにびすっと衝撃が来た。
 勢いで、首がゴキンと鳴る。

「ぐぉおおおお〜!」
「ふざけるのは止めろよ、矢神・博司」

 お前こそふざけんな、と思いつつ、キザ馬鹿を睨みつけた。

「矢神。お前、最後に手加減をしたな?」
「あ?」
「あのタイミング――お前が本気だったなら、今頃この顔は――」

 と、キザ馬鹿は頬を撫でる。
 平均よりはずっといい男だが、妙に腹の立つ、ナルシシズム満載の仕草だった。

「――頬骨でも粉砕されていたかな」
「…………」
「なあ、どうしてそうしなかったんだ、矢神・博司。まさか貴様、男色家と言うわけでもないだろう?」
「それは勿論だが――」

 キザ男――芥川は、怪訝な顔で、俺に詰問をしてくる。

「手加減か? それとも油断か?」

 どうしてそう思うのか、と思うが、……これ、もしかして利用できるのではないだろうか。

「違う。俺にそんな余裕はなかったさ。お前は強かった。俺の負けだよ、芥川」
「……フン。お前の気まぐれか、それともパチンコ玉に足を取られたのか――なんにせよ、俺は偶然に助けられたわけか」

 に、と、芥川は笑い、車体にいくらか傷を付けたスクーターにまたがる。
 去る気か、と思うと同時、逃さん、と結論が来る。

「気に入ったぞ、矢神。この礼はいつかしよう」
「待て、芥川!」
「なんだ?」
「お前ら、なぜ関原や俺を狙う? お前らは何をしようとしてるんだ!? 礼は要らない、質問に答えて行け!」

 芥川はヘルメットをかぶりつつ、言う。

「俺たちがなんであるのかは知っているか?」
「……日特連だろう?」
「そうだ。俺たちは、仲間を集めている。日特連の命令に従ってな。……十分か?」
「日特連は何をしようと?」
「それは、俺が語れるコトじゃない。お前がUCISで、仲間になると言うのなら、これ以上を語ってもいいが――違うのだろう? お前は」

 頷きを返すと、これ以上はない、と判断したのか、芥川は今度こそ発進しようとする。

「待て、芥川。最後に一つ」
「……なんだ?」
「俺を、上に報告するのか?」
「……ああ、なんだ。そんなことか」

 芥川は、にやりと笑い、

「お前はUCISじゃないんだろう? それに、お前は仲間に引き込むより、放っておいた方が面白そうだからな」

 本当かどうか分からない言葉だが、ひとまず安堵する。
 だが、その言葉には続きがあった。

「だが、あの娘は違うぞ、矢神。綾瀬は容赦しない。それに、関原・遠乃は――はっきりと、俺たちの狙いに入っている」

 それは、俺には関係のないことで、全くの見当外れだ。
 故に、チョコを取り出し、視線を切っていたため、飛んできた名刺大の紙に気づかなかった。

「関原・遠乃は今、その場所にいる」

 芥川の能力で投射されたのか、チョコに突き立った紙を見れば、高校近くの住所が書かれていた。

「――いい眼鏡をしていたからな。助けようと思うのなら、助けに行くがいいさ」

 その言葉を最後に、芥川はスクーターで走り去る。
 無音だ。

「ああ、あいつ、能力でアレ動かしてたのか……?」

 今更のように、ちょっと前の事件を、口に入れた甘味と同時に反芻する。

「…………」

 いけ好かない、女だが。
 しかし、俺と同じく『普通でありたい』と願う女だ。
 普通は、普遍的であるからこそ、普通だ。
 それを得られないだなんて不公平は、あってはいけない――と、思う。

「……面倒くせぇなぁ」

 だが今、この心を満たすものは、間違いなく本音でもある。
 チョコを全て口に放り込んで、芥川からゲットした千円を懐に、俺は走り出した。