− 第6話「覚悟」 −

 どうしてこいつがここにいるんだ?
 昨日の夕方に見かけたツインテを見て、俺は動揺を隠せずにいた。
 ここは学校だ。俺の日常の場のはずだ。
 思わず頭を抱えたくなる。
 どうして厄介事というのは、こう一度に降ってくるものなのか。

「とりあえず、その物騒なものを下ろしてください。
いくらなんでもそれは人目につきすぎる。それとも、それが目的なのですか?」

 そう言った関原の声音も固い。
 それも当然だ。
 元々向こうがその気なら、俺達がUCISであることを隠すのは不可能に近い。
 そうなったら、俺達が望んでやまない平穏は永遠に訪れないだろう。
 いざとなったら、力づくでも……と思ったが、ツインテは意外なほどあっさりと銃を収めて

「別にこの場でどうこうしようなんて私も思ってないよ。
今のは、こっちが本気なんだよってことを見せたかっただけ。
それに、霧矢くんに『今日はあくまで話し合い』だって言われたしねー。
コレは見せるだけならいい、としか言われてないから、そんなに怖い顔しなくてもいいよ」

 ちょんちょんとスカートの上から銃を収めたところを指でつつきながら、にぱっと屈託の無い笑みを浮かべた。
 その顔には悪意の類は全く感じられない。
 だが、油断はできない。話の流れから、この子は恐らく日特連の一員。
 つまりはUCISだ。能力がわかるまでは油断はならない。
 が、一つだけ俺には幸いなことがあった。

(こいつがついてきてほしいと言ったのは関原だけだ。なら、俺がUCISだってことは、まだこいつらにはバレてないんじゃないか?)

 単なる推測に過ぎないが、そうだとすればこの場は乗り切れる。
 いや、むしろこの場さえ乗り切れば、少なくともこいつらが俺の日常に介入してくるようなことはもうないだろうとさえ思えた。
 そうと決まれば、俺はそれとなくこの場を離れて

「……げ」

 思わず声が漏れる。
 関原が俺の制服の裾を掴んでいた。
 その視線までもが俺を完璧に捕まえている。
 これでは制服を脱ぎ捨てでもしない限り逃げられない。
 だが、それはいくらなんでも目立ちすぎるので却下。
 無言で関原の様子を窺ってみる。
 以心伝心ではないが、そのときの関原の目は明らかにこう言っていた。

 ――逃がしません。

 勘弁してくれ。
 マジで。

「ねえ、その人は何? 私はおねえちゃんについてきてもらえればいいんだけど」

 向こうも怪訝に思ったらしく、そんな言葉を投げてくる。
 俺の思った通り、まだ相手は俺がUCISだということには気付いていないらしい。

「彼は……」

 一瞬、関原が口ごもった。
 まさか俺がUCISだということをバラすんじゃないだろうな?
 そんなことをしても、道連れが増えるだけで事態の根本的な解決にはならない。
 関原もそこまでバカじゃないはずだ。
 かと言って、関原は俺を逃がすつもりは毛頭ない。
 どんな言葉が飛び出すのか、俺はツインテと一緒に待ち構えた。

「彼は……その、ですね」

 どんどん語尾が小さくなる。
 うつむきがちになり、その言葉が聞き取り辛くなっていく。
 と、関原は急にがばっと顔を上げて

「彼は、私の恋人です」

 俺の破滅を宣言した。

「……、は……?」

 そのとき確かに、全ての時間は停止したと思う。
 直後、思考が追いついてきた。
 俺は咄嗟に関原の肩を掴んで自分の方に引き寄せる。

(おい、どういうことだ! 気でも触れたのか!?)
(仕方がないでしょう。相手を誤魔化すのにこれ以上便利な言葉がなかったんです)
(もうちょっとまともな案はなかったのかよ!)
(検討に検討を重ねた結果です。私だって本意ではありません)

 前言を翻すつもりはないらしい。
 俺は思わず眩暈を覚えて、廊下の壁に背中をついた。
 平穏がどんどん遠ざかっていっている気がする。

「は、はわー。こんな場所で抱き合うなんて、そんなアツアツな……」

 ツインテはツインテで、両手を手で覆いながらそんな世迷言を抜かしていた。
 とりあえず誤魔化せたには誤魔化せたらしい。
 もしかしたら、まだUCISだとバレた方が幸せだったかもしれない。
 勘弁してくれ。
 マジで。

「し、仕方ないな。おにーさんもついてきていいよ」
「いいのかよ」

 そこはむしろ拒んでほしいところだ。

「んー、そんな大した話じゃないだろうし。もしダメでも、話をする前に帰ってもらうだけだから、別にいいと思う」

 一生を左右するかもしれない話を『大した話じゃない』とはご挨拶だ。
 やっぱり能力者は、少なからず変人揃いなのかもしれないな。
 もちろん、俺は数少ない例外だ。

「決まりですね。では改めて場所を変えましょう。ここは人目につきすぎます」

 それはもっともな意見だった。

「わかったわかった。それじゃ荷物を持ってくるから、いい加減に服離してくれ」
「逃げないと約束してくだされば、今すぐにでも離しますよ、矢神先輩」
「ここまで来て逃げるわけないだろ? 十分後に校門前でいいか」

 ツインテに視線を投げかけると、ツインテは「それでいいよー」と返してきた。

「それじゃ、そういうことだ。また十分後な」

 さて、月峰にでも早退の意を告げて帰るとするか、裏門から。

「矢神先輩」

 服を離す直前、関原は俺に身体を預けてきた。
 そして上目遣いにじっと見つめてきて、

「逃げたら、あなたの秘密を学校中に吹聴して回りますからね」

 ――行かないわけにいかなくなった。ちくしょう。
 勘弁してくれ。
 マジで。

     *

 待ち合わせの五分前に校門前に行ってみると、そこにはツインテしかいなかった。
 関原の姿はまだ見えない。
 ツインテは暇そうに折り畳み式の携帯をぱかぱかと開いたり閉じたりしていた。

「あ、おにーさん。早かったね」
「まあ、遅れたらただじゃおかないって言われたからな」
「おねえちゃんに? あはは、愛されてるねーおにーさん」
「あっはっはっはっは」

 笑えないのを通り越して、もう笑うしかなかった。
 つられて笑うツインテ。
 その表情は、その辺りにいる少女と変わらない。
 ――当然だ。
 UCISだから、それがなんだというのか。
 別に能力を持っていたとしても、化け物でもなんでもないただの人間だ。
 それはUCISである俺自身がよくわかっている。

「おにーさん。面白い人だね」

 と、ツインテは俺のことをまじまじと見つめてそんなことを言ってきた。

「私、UCISなんだよ? 能力者なんだよ? 怖くないの?」
「ん? ああ」

 一瞬、その顔に微かな怯えが見えたような気がした。
 俺もだから、とは言えるわけもなく、俺は少しだけ考えてから

「能力者って言ってもなぁ……結局は人間なわけだからな。俺の目には、ただのちみっこいお子様にしか見えん」
「……あは、やっぱり面白い人だ、おにーさん。霧矢くんもおにーさんくらい面白い人だったら良かったのに」
「あんまり面白い面白いって連呼されると、逆に不愉快になってくるぞ」
「ごめんごめん。でも、ほんとだよおにーさん」
「おにーさんじゃなくて、矢神・博司だお子様」
「それじゃ、私は綾瀬・美春だよ。矢神のおにーさん」

 綾瀬は白い歯を見せながら、からかうような口調で言った。
 正直、ガキは苦手だ。
 相手をしているだけでカロリーを浪費しているような気がする。
 帰ったらまたアイスでも食べよう。

「お待たせしました」

 と、そこでガキよりも苦手な関原がやってきた。

「うん。それじゃ早速……んお?」

 歩き出そうとした綾瀬のポケットから、着信音が流れた。
 ちょっと待ってて、と言ってから綾瀬は携帯を取る。

「もしもし。あー、うん、ばっちりばっちり。おねえちゃんは今から連れてくって。
もう、たまには私を信じてくれたって……うん? ターゲット追加? そんな話聞いてないよー。
あー、もー。……うん、わかってる。これ終わったらランチ奢ってよね。
それで? ターゲットの名前とかわかってるんだよね。……え?」

 ちら、と。
 綾瀬が俺の方を、ほんの一瞬だけ見た気がした。
 途端、なぜか背筋に冷たいものが這い上がってくる。
 何か、嫌な予感がした。
 綾瀬は口元に手を当てて、声のトーンを落として電話を続けている。

「ん……一緒に……ほんとに? そんな急に……うん、うん……わかってるよ」

 そこで通話は終わったらしい。
 綾瀬は神妙な顔をしたまま俺達を――いや、俺を見て、

「ごめんね。ひとまずおねえちゃんには一人で来てもらうことになっちゃった」
「そうか。それじゃ俺はお払い箱ってことだよな」
「ううん。矢神のおにーさんには『別件』でちょっと用事が出来ちゃった……かも」

 歯切れの悪い答えに、俺の焦燥感は徐々に高まっていく。
 今の電話の内容はなんなのか。
 少なくとも、何か俺に関係する話であったことは容易に想像がつく。

「そういうわけだから、しばらくここで待ってて。すぐに迎えが来ると思う。それじゃ、ね」

 二人は一緒になって歩いていき、横断歩道を渡り、ラーメン屋の角を曲がって――見えなくなった。
 俺はその後姿をずっと眺めながら、ただぼんやりとその場に突っ立ったままだった。
 そうして天を仰いで、続いてうつむき、座り込み、深い溜息を漏らす。

「あー、なんだってんだ……」

 俺がUCISだってことは、多分バレてない。
 それは綾瀬の反応でわかる。
 だが、今綾瀬に来た電話は、ほぼ間違いなく俺に関するもの。
 関原以外で俺がUCISだということに感づいた奴がいるのか。
 正直、心当たりは

「……」

 耳に、エンジン音が聞こえてきた。
 そう大きいものじゃない、恐らく原付バイク。
 ――思い出した。
 関原以外に一人だけ、気付いてもおかしくはない奴がいる。
 そして、この流れだと恐らく、奴も日特連の一員。UCISなのだろう。
 目の前にバイクが止まる。
 ヘルメットを脱ぎ去ると、男は俺を値踏みするような目で見て

「こうして会うのは三度目だな」
「出来ればもう二度と会いたくなかったぞ」
「奇遇だな。俺もさ。だが、そうもいかなくてね」

 視線は鋭く、俺の一挙一動に注がれている。
 その視線を受け止めているだけで、不思議と緊張が高まった。
 動悸が激しいのに、額を流れる汗は冷たい。
 何か、こいつはやばい。
 綾瀬からは感じなかった『危険』のにおいをこいつからは感じる。

「単刀直入に聞こう。お前はUCISか?」
「……」
「だんまりか。まあ、無理もないな」

 エンジンを数度空ぶかしして、男は不敵な笑みを浮かべた。

「ついてこい、矢神・博司。お前に選択の余地はない」

     *

 選択の余地がないことはわかっていた。
 しかしそうは言っても

「遅いぞ、矢神・博司」
「おっ、遅いぞ、じゃ、ねえよっ」

 まさかバイクを走って追いかける羽目になるとは思わなかった。
 どこをどう走ってきたのかは覚えていない。
 周囲を見回してみる。
 朽ちた建物がまるで山脈のように連なった場所だった。
 何かさびのような臭いが鼻を刺す。
 人気がないどころか、およそまともな生き物の住めそうな環境ではない。

「ここは?」
「かつて進められていた新奥府開発プランで建設されていた住居施設の成れの果てさ。
もっとも計画自体は、発案者がUCISだということがリークされて、それが元で消滅したがな」

 男がバイクのエンジンを切ると、辺りには風の音しか聞こえなくなる。
 がらんどうの住宅からの風音は、さながら棄てられた土地の嘆きのようだった。
 男はバイクの座席に軽くもたれつつ、懐から財布を取り出しながら視線を向けてくる。

「それじゃ、改めて聞こうか矢神・博司。お前はUCISか?」
「……答える義理は無い」
 ヒュン、と。
 俺のすぐ横を、何かが猛スピードで通り抜けていった。

「お前に選択の余地はない、と言ってあったはずだ。次は当てるぞ」

 何だ? 何をされた? 今こいつは何をしたんだ?
 わからない。少なくとも、今はわからなかった。
 これ以上無策で突っ張るのは危険すぎる。
 仕方ない。
 能力を開放してから、再び口にする。

「何度聞いても変わらないさ。答える義理はない」

 瞬間、男の手から何かが飛び出してきた。
 だが、UCISによって飛躍的に上昇している俺の動体視力は、それをまるでスローモーションのように捕らえていた。
 右肩に迫るそれを回避しつつ、その正体を確認する。

 ――五百円玉だった。

(って、五百円だと!?)

 俺は、思わず手を伸ばしてその五百円玉を掴んでいた。
 五百円あれば、アイスが何本買えると思ってるんだ。
 ということは、さっき吹っ飛んでいったのも五百円か。
 ブルジョワの考えることは理解できない。
 男は一瞬驚いた顔をしていたが、すぐにその顔に笑みが戻り

「お前……今、反射的にじゃなくて、目で見てから掴んだな?」
「うぐ」

 やっちまった。
 五百円玉だ、五百円玉が悪いんだ。
 心の中でそう言い訳してみたが、状況が好転するはずもない。

「お前が物凄い身体能力を持ってるだけのただの人間なのか、それともUCISなのか、この芥川・霧矢が確かめさせてもらう」
「……一つだけいいか」
「なんだ?」
「この五百円返すから、謹んで辞退させてください」

 もう五百円飛んできた。
 無論、キャッチ。
 これで今日の小遣いプラス千円か。儲かったな。
 ……そうじゃない、そうじゃないだろ俺。
 まずはこの状況をどうにか切り抜けないといかんだろ。
 この千円でアイスが何本買えるか、そんなことは家に帰るときにでも考えればいい。
 幸い、ここは人気がない。
 つまり――能力を使っても、他人にはバレない。

「面倒くせぇ……」

 しかも、疲れるからあんまり使いたくないんだよな。
 制服のポケットの中をまさぐる。
 一個十円のチョコが……三つ。
 ここまで無理に走らされてきたから、体力にあまり余裕は無い。
 ガス欠になる前に勝負を決めないと、俺に勝ち目はないな。

「オーケー。覚悟完了したぞ、キザ男」
「覚悟っていうのは、俺と戦う覚悟か? それとも潔く負けを認めて俺の質問に答えるのか?」
「いいや、どっちも違うな。俺の覚悟っていうのはな」

 はぁー、と深く溜息をついてから、俺は頭を抱えながら言った。

「時間外労働をする覚悟だよ」