− 第4話「信頼(アイスによる)」 −

 ――総じて言えば、豪華な家、だった。
 引越しバイトのときに荷物を運び込んだが(そのときにセキハラを見た気がする)、広さのわりに家具が少ないようにも感じる。
 空間を余裕込みで使っている、とでも言えばいいのだろうか。少なくとも、俺の家ではこんなことはできない。
 豪華なんだよな、と、事実をもう一度理解し、納得をする。
 俺が通されたのは、居間だった。広さは勿論のこと、ソファーも液晶テレビも、何もかもが豪華で、もはや言葉にしたくない。
 ……逃避も嫌になってきたところで、そろそろ現実を見よう。連行なんて言葉を使うのが相応しい、嫌な事実を。

「あー……」

 真横には、眼鏡越しに冷たい視線を送ってくるセキハラさん。
 距離は近い。エアコンで少し涼しいくらいの温度に調節された室内では、彼女の温度もちょっと伝わってくるほどだ。
 俺をこんな豪奢な邸宅に運んできた張本人であり、――限りなく百に近い確率で、UCIS能力者だ。
 握力を強くしたりするものでは、ないと思う。恐らく、粘着とかそちら系の能力を持つ少女。
 万が一を考えつつも意を決し、(目線はそらしつつ)声をかける。

「……セキハラさん?」
「関原・遠乃です。先輩。関原で結構です」
「オーケー、関原後輩。俺は矢神だ」
「分かりました、矢神先輩」

 ……会話が途切れる。
 俺は自己紹介をしたかったんじゃない。そのはずだ。
 逃げたいとかそんな思いがひしひしと。……ひしひしと!
 とにかく、もう一度意を決して、呼びかけを行う。

「……関原後輩」 「なんでしょうか。質問は受け付けます。……ああ、私の能力は、ご想像の通り、モノにくっつく能力です」

 聞いてもいないことを答えてくれた。今も握られたままの右手を見るに、逃がす意思はゼロらしい。
 身体能力が上がる能力を有しているからと言って、いたいけな少女(中身はともかく)を引きずって歩くほど鬼畜でもない。
 ……屈するわけじゃない。屈するわけじゃないが、唯々諾々と答えていくことにする。
 勿論、素直に答えようとはしない。

「ああいや、質問じゃない。実はこれから、バイトでな……まだ研修中なんで、遅れて悪印象を持たせたくないんだ。用があるなら、早くしてくれないか」

 嘘を言うときには、真実を織り交ぜて言うべし、とはどこの誰が言ったのか。
 これからバイトなのは確かだが、時間にはかなりの余裕があるし、既に研修期間は終わっている。つまりは、ただ早く逃げるための方便だ。
 しかして彼女は、僅かにあごを引き、意見を受け入れてくれた。

「そうですか。では手短に質問します。手短に答えてください」

 ……どうやら、質問の仕方が尋問方向に一歩踏み込んだようだ。言葉には、逃がさない、とか絶対に答えてもらう、とか、そんな意思が乗っている。
 色々間違えたかなぁ、なんて思っている内に、彼女は一息を入れ、

「矢神先輩も、UCIS能力者ですね?」

 確信を込めた、核心に迫る質問をカマしてきた。

「む」

 ……嫌な問い方だ。質問の意図は、その答えではなく、その反応だろう。
 ちら、とその眼を見れば、以前と同じように凍る瞳で、全てを見抜こうとしているかのようだ。

「……そうだ。その通りだ、俺はUCIS能力者だ」
「そうですか」

 こちらの肯定に、頷きもしない。表情は、僅かではあるが、笑み。ネズミをいたぶる猫のそれだ。
 とは言っても、笑みから見て取れることは少ない。精々が、こいつの性格の悪さくらいだ。
 関原後輩は、こちらの苛立ちを誘う冷たい声で、質問を続けていく。

「次の質問に移ります。あなたが能力者であることを、何人知っていますか?」

 家族にさえ公表していない秘密を、誰に教えると言うのか。
 軽い嫌がらせで、誰が知っているか、とは言わずに答える。

「俺が知るうちでは二人だ」
「私とあなただけですか」

 ……あっさり見破られた。フフン、と鼻で笑われるような惨敗っぷりだった。関原後輩がそうしないのが優しさなのかそれともそう見せかけた侮蔑なのか分からなかった。

「先輩、嘘が下手ですね」
「……そうか?」

 ……額の距離が近い。
 関原後輩は、成長が二年分くらい遅れてはいるが、わりとかわいい方だ。性格さえ――そう、性格さえよければ、あとは成長に全賭けで――

「…………」

 そこで、冷たい視線に気がついた。
 我ながら間抜けすぎる。こんな女と付き合おうだとか、そんなことは考えられない。この女は恐らく俺の天敵で、将来『あそこで殺しておけばよかった……!』などと悪の幹部のようなことを考えたりするのだろう。
 よし、と決意したその瞬間も、関原後輩は俺の目を見ていた。

「……もういいですか?」
「あ、はい、いや、いいぞ」
「わかりました」

 彼女は少しだけ眉根を寄せたが、すぐ元に戻る。

「次の質問です。今、この世の中をどう思いますか?」
「抽象的過ぎないか、それ」

 と言うか、この女、実はアンドロイドかなにかなんじゃないだろうか。
 世間話というか、無駄な会話がない。今だって、こいつと同レベルの脳味噌なら(皮肉)、この質問の意図も読み取れたのだろう。

「UCIS能力者にとっての世間です」
「キツいんじゃないか。……それくらいだよ。バレなきゃいいんだ」
「そうですか」

 ため息を吐き、右手に視線を落とす。
 俺の手を掴む左手の体温は、掴まれた瞬間こそ冷たかったが(その時は色々優先すべきことがあって気づかなかった)、今はもう俺の体温と同じくらいだ。
 軽く動かしてみるが、握力は本当に最低限――掴んでいるより握っているよりなお弱く、ただ腕を触っている程度の力しか入っていない。なのに剥がれない。そんな能力らしい。
 質問も、なんだか嫌なニオイがするものだ。唯々諾々と従っていたら、どうにも、致命的なところにまで手を引かれていきそうな気がする。

「……も、もういいだろ。そろそろ帰してくれないか。俺、本当にバイトが」
「休んでください」

 即答だった。
 だが、代わりとばかりに告げられた言葉は、どこか弱気なものだった。

「嫌なら、これから私が言うお願いを、……一考してください」

 立場はさっきと全く変わっていない。さらに、言い方も一方的なソレだ。だと言うのに、わざと弱味を見せるような言葉の選択。
 このマシン後輩、いったい俺に何をしろと言うのか……
 左手で自分の頬を触ると、とっても嫌な表情をしているようだった。予想通りすぎてちょっと嫌になった。
 だが、このお願いこそが彼女の本命なのだろう。これさえ終われば、俺も帰れるだろう、と思う。

「…………聞こう」
「ありがとうございます」

 本当に礼を言っているのか。言葉って心を百パーセント伝えないんだなぁとよく分かる一言だった。
 俺は、UCIS能力者とほとんど会ったことがない。なので判断は永遠に先送りにしておきたいが、もしかしたら、UCIS能力者とはこんな風に変人ばかりなのかもしれない。もしかしたら俺もそうなのかなぁ、とか思うと涙が出てきた。

「……実は、私は、狙われています」
「ああ、さっき見た」
「…………、」

 そこで彼女は、一度、躊躇――そう、弱みを見せるためだろうか、それとももっと別の要因か、確かに、ためらった。

「私を、助けてください」

 ――直球。
 こちらがたじろいてしまうような、冷たいながらも――

「ああ。聞いた以上、同時破滅までは持ち込みますから、そのつもりで」

 …………すごく、気が迷いそうになった。
 先ほど顔が近づいてきたときにも、同じような後悔をした気がする。
 致命的だ。
 絶対に致命的だ。
 こいつは絶対に友達がいない。

「矢神先輩。UCIS能力者は、迫害の対象になろうとしています」
「ん、ああ。それがどうか――」
「日特連は、先駆けて――『怪しげなコト』を始めようとしています」

 関原後輩は、僅かに、『怪しげなコト』と、そこを強調した。

「あ、――怪しげなことォ?」
「私も確信を得ているわけではないので、これ以上の説明はできません」
「じゃ、それを阻止しようってのか、お前は。俺に、手伝え、と」

 俺は、怪訝な顔に、なっていたと思う。対照的に、関原後輩の顔は、鋭利な笑みだ。
 その顔が、俺に近づき、息がかかるまでに――

「――まさか」

 ――耳元でささやかれたその言葉は、ひどく、実直で、率直で、だからこそ、致命的なくらいに、脳を、背筋を、心臓を、凍らせた。

「私はそんなに博愛主義者ではありません。私は、私を逃がすために、先輩、あなたに協力を求めています」
「そ、そうか」
「私は、差別もしたくないし、されたくもない。先輩、あなただって、そうであると、私は信じます」

 ……そう言って、彼女は手を離した。
 拘束を解かれるときは、何の感触もない。本当に普通に、彼女は手を離しただけだ。

「私からの話は終わりです。質問は受け付けます」

 理は分かった。なんとなく共感できるし、意外とマトモな理由でもある。

「……具体的には、どうするんだ?」
「私を襲った連中の口封じ」

 ……今まで、徹頭徹尾の即答だが、ここまでの暴言はなかったように思う。
 口封じ、とか、マトモじゃない単語がこうも簡単に出てくる世界に住んでいただろうか俺。

「元はと言えば、私の失敗です。これでもし、先輩が一般人であったなら、私は私を守るため色々と手段を講じなければなりませんでしたが、先輩もUCIS能力者です」

 協力者として、依頼することができる。
 対等な立場として、仲間に誘うことができる。
 彼女はそう言って、再度、口を閉じた。

「……それで、お前はどこまでやるんだよ」
「…………」

 本日二度目の躊躇を、彼女は行う。
 先ほどのような、弱みを見せるがためではない。
 続く言葉は、届かない夢を、叶えると誓うような、強い口調だ。

「私が、『普通』になるまで。『平穏』を得るまで、彼らが私に干渉を行わないようになるまで、私が彼らから逃げ切るまで、です」
「お前……」

 それはどれほどのコトだか分かっているのだろうか。
 日特連。大規模な法人。それも、黒い噂のある。
 難しい――なんて、レベルじゃないだろう。
 彼女は、ゆっくりと立ち上がり、台所の方向へと歩いていく。
 小さい背中だ。

「それでもやるんです。私は、普通が、とても恋しい。……できるなら。こんな能力なんて持っていなかった頃に、戻りたいくらい。それが、不幸せな時代であったとしても、今よりはきっと、大切な時間だから」

 ……奇しくも。
 俺と、同じようなことを、彼女は、思っていた。

「……俺もだよ、関原後輩。俺も、できれば、こんな能力は欲しくなかった。『平穏』――なんて、退屈と同じ意味だって、本気で思ってたさ」

 背中に声をかけると、彼女は僅かに肩を揺らした。
 ……平穏。
 今の俺は、綱渡りをしている。些細なことでバレてしまうかもしれない秘密を抱え、見せ掛けの平穏を保っている。恐らく、関原後輩もそうなのだろう。
 少しだけ親近感が沸きかけて、さっきの後悔を思い出し、とにかくソレを霧散させる。
 ガラガロ、と聞こえてくるのは、冷蔵庫を開ける音だろうか。今更と言えば今更だが、飲み物でも探しているのかもしれない。
 だが、彼女は飲み物以外のものを見つけたらしい。

「……そうですか。ところで矢神先輩、アイスは大丈夫ですか?」
「アイス?」

 アイス――アイス。アイスと言ったか。

「待て。そのアイスってのは、ジェラートとか、ソフトクリームとか、そう言った食品の総称としてのアイスだな?」
「え? そうですが……」
「そうか、とてもありがとう。それをくれるなら、俺はこれからお前に対して無条件の信頼と全力の支援を約束する」
「……え? ……はい、その、あ、ありがとうございます……」

 台所から戻ってきた彼女は、コンビニでよく売っているような、カップアイスとスプーンを、二つづつ持っていた。
 種類は同じ、どちらもバニラ。そう、アイスの王道とも言えるバニラだ――!

「関原後輩。いや、関原さん。ありがとう」
「……あの、ちょっと、正気度をチェックしていただけませんか」
「大丈夫、俺は正常だ。何者かのUCIS能力で操られたりとかはしてないと思うぞ」
「は、はぁ……そ、そうですか……」

 関原さんの顔に、わずかな笑みが浮いている。
 ただ、なぜかそれは、ひどく引きつっていたが。

「どうぞ「いただきます」

 カップを瞬時に開け、溶けない内に神速の一口。
 俺の筋力は強化され、一般人の数倍程度。つまりそれは、速度も跳ね上がっているということでもあったりする。燃費も最悪で、こう、甘いものがないと生きていけない。具体的にはアイスがないと生きていけない。
 そのために歯を大事にしていたりするくらいだ。

「ご馳走様」

 ……と、気づけばカップが空だった。
 関原さんが、なんだか哀れみ入った目でこちらを見ているのは何故だろうか。

「……いりますか? 私、まだ、口を付けていませんから、どうぞ」
「え!? いいのか!? 関原さん、いや、関原様! ありがとうございます!」

 おそるおそる、と形容すべき速度で出されたアイスを恭しく受け取り、今度はゆっくりと味わって、脳髄に刺さる至高の味を租借する。

「ビューチホー……! 関原様、さっき俺お前に友達いないなんて思ってゴメンな! お前くらいいい人だったら友達がいないわけがない、現に俺が今友達に――」

 と。その瞬間、平手打ちが来た。

「!」

 『くっつく能力』が発動していたのか――手のひらに触れた髪の毛が数本引きちぎられた。
 指先に触れた頬の皮が、持って行かれる。

「うお……!」

 えげつない、の一言が脳に来る。直撃で咲くのはまさに紅葉だろう。
 スプーンを口にくわえ、筋力に任せて一気に跳躍する。

「ま、まひぇ。おちふけ。どうひた」
「……私だって、好きで、友達が、いない、わけじゃ――」

 ぐわ、と、彼女は高速で襲い掛かってきた。
 ああそうか、足の裏でもくっつく能力を発動して、効率よく加速を――などと、落ち着いて思っている場合ではなかった。

「――ない――――!」

 ……本日の被害。
 轢かれた際の打ち身。
 くっつく能力で千切りとられた髪の毛。
 同じく、いくばくかの皮膚と、ビリビリにされた上着。
 こぼしたアイス(半分くらい)。
 アイスで培った信頼関係。

 結論。
 やっぱり、関原・遠乃は、俺の天敵だ。