− 第3話「拳銃と白パンツ」 −

美春

 まず目に飛び込んできたのは、夕風になびく二つの尾――栗色のツインテール。
 夕日に照らされた小さな体躯から長い影が伸びている。
 黒いシャツに、真っ赤なフレアスカート。
 肩からはポシェットが下がっており、可愛らしい。……あくまで一般論で言えば。
 日本人男性の九割はロリコンだなんていう根拠の無い話があるが、少なくとも俺には少女を愛でる趣味は無い。
 と、一陣の風が舞った。夏風。草の匂いと微かな熱気を帯びた空気。
 赤い布地がはためいた瞬間、少女の太腿にベルトのようなものが掛かっているのが見えた。

(ホルスター……?)

 咄嗟にその単語が出てきたのは、少女の右手に黒光りする拳銃があったから。
 常識的な一般人は、こんな町中であんなものを振り回したりしない。

 タタタタタタンッ

 数秒に渡って、小気味いいフルオート射撃。
 住宅の壁に弾がぶつかり、パラパラとアスファルトを転がる。
 ――BB弾。
 そりゃそうだろ、と俺は自嘲気味に独りごちる。
 いくらなんでもこんな町中で実銃を撃ち始めるキチガイ野郎なんて、そうそうお目にかかるものじゃない。
 少女は、ポシェットから新たな弾倉を取り出した。
 空弾倉をポシェットにしまい、弾倉を銃に差込む。
 スライドを力強く引き――離す。
 再び銃口を前に向ける。
 それを目で追うように視線を上げると、その先に見慣れた制服があった。

「……あ?」

 思考停止。
 よく目をこすってみて、もう一度目を凝らしてみた。
 見間違い、ではない。
 俺と同じ高校の制服を着た少女に、銃口は向けられていた。
 それも問題だったが、より問題なのは。
 少女が民家の壁に、文字通り貼り付いているらしい――ということ。
 その手の平は、凹凸もほとんど無いであろう壁面に吸い付いているように見える。
 襲い来る弾を、壁を蹴って身を翻し、そのほとんどを避けていた。
 ……お、今ちょっとパンツ見えた。白。清純だな。好印象。
 時たま避け切れずに、その柔肌に弾が当たっていたが、その表情はむしろ苛立っているように見えた。
 BB弾なので、直接当たってもさして問題にはならないのだろう。
 しかし、はて、あの顔はどこかで見た覚えがある。
 が、どこで見たのか思い出せない。
 あまり良い記憶でなかったような気はするのだが……。
 と、ふと後ろの方から何かが聞こえてきた。
 すぐにそれがエンジン音――恐らくバイクだろう――であることに気付く。
 どんどん近づいてくる。
 瞬間、昨日の記憶が脳裏に蘇った。
 赤信号。スクーター。長髪のブルジョワ。
 杞憂が過ぎるな、と思わず苦笑し、半身になって背後を見ると、すぐ目の前にスクーターが飛び出して来

     *

 咄嗟に能力を発現したのが幸いだった。
 ただ、いくら身体強化をしたにしても、バイクにぶつかられて無事なわけがない。
 一言で言えば、すっげえ痛かった。
 アスファルトを一転二転し、住宅の塀にぶつかってようやく止まる。

「なんなんだよ……」

 毒づきながら、何とか立ち上がった。
 頭がぐらぐらして腰が痛いが、大事ではなさそうだと判断。
 顔を上げると、ぶつかってきたバイクはその場に止まり、運転手がこちらを見下ろしていた。

 どこかで見た覚えのある長髪がそこにいた。
 昨日は俺の過失が大きかったが、今回は向こうの過失が大きい。
 文句を言おうと思ったそのとき、長髪の口が動いた。

「もう十分だろう。帰るぞ。美春」

 その視線は既に俺に向いていない。
 長髪の声に、少し離れた場所にいたツインテ拳銃少女がたたたっと駆け寄ってくる。

「お出迎えごくろー。霧矢くん」
「はいはいお嬢様。とっとと帰るからケツに乗れ」
「はーい」

 ピョンと座席の後ろ側に飛び乗るツインテ。
 ちょっと待て、スクーターは二人乗りじゃないだろ。

「おい、お前ら……」
「ん? ああ、大丈夫か?」
「おかげ様で」

 たっぷり皮肉を込めて言ってやった。
 長髪はそれを気にも留めていないのか、フッと一笑して、ポケットから財布を取り出す。
 長方形で分厚い、いかにも『詰まってます』といった感じの。

「そうか。ならいいだろ。クリーニング代だ」

 ヒラリと舞い落ちる紙を、瞬時に掴み取る。
 五千円を手に入れた。
 なんだかデジャヴを感じたが、気にしないことにする。
 長髪はヘルメットを外し、ツインテの少女にそれを被せた。
 おいおい、お前はノーヘルかよ。

「あはは。バイバーイ」

 去り際に少女が顔をぱっと輝かせ、俺に向かって手を振った。
 そのままエンジン音だけを残して遠ざかっていくスクーター。
 ……あれはなんだったんだろうか。
 少し考えてみたが、厄介事には関わらない方が無難だと結論づいた。
 まだ日も沈まない内からエアガンを人に向けて放つ少女と、人を轢いておきながら平然としている男。
 どう考えても奇人変人の組み合わせだ。
 今日のところは、素直に臨時収入があったことを喜ぼう。
 とりあえずさっさと家に帰って夕食にありつくことにする。

「待ちなさい」

 振り向きたくないな。
 そう思ったが、背後からの声には有無を言わさないものがある。
 仕方なく振り向くと、先ほど的になっていた女の子が、不機嫌そうな顔をしていた。
 腕を組み、どこか高圧的な態度で仁王立ちしている。

「あなた、見ましたね?」

 パンツをか。

「……なんのことだ?」

 睨む目が鋭さを増した。
 俺より頭一つ分は小さいのに、この気迫は只者じゃない。
 半フレームレス眼鏡の奥で、冷たい光を放つ目が俺を射抜いている。
 その冷ややかな目を見ているだけで不快指数が上昇していく。
 そこでようやく、俺はこの少女のことを思い出した。
 昨日バイト先で会ったセキハラさんだ。
 初めて見る制服姿のせいか、思い出すのに時間がかかった。

(二度と会いたくないと思ってたのに、なんというか奇遇な……)

 どうする。
 少し考えて、俺はおもむろに携帯を取り出し、開く。

「やっべえもうこんな時間か! 早く帰って夕食を待ちながら物理学的な教育番組見ないと!」

 俺は逃げ出した。

「待てと言ったでしょう」

 しかし回り込まれてしまった。
 逃げられないように、はっしと腕を掴まれる。
 流石にちょっとわざとらしかったかもしれない。

「見られたのなら、このまま解放するわけにはいきません。少し着いてきてもらいます」
「はあ? ちょっと勘弁してくれ」

 その手を振り解こうとするが、思いの他握る力は強く、一向に放してもらえそうにない。
 とはいっても、面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。
 ――仕方ないか。
 俺はほんの少しだけ能力を発動させ、思い切り腕を振

「え?」
「な、」

 回った。
 俺を中心にして、セキハラさんの身体がそのまま宙を舞った。
 よろけながらも着地した彼女は、呆然と俺の顔を見つめる。
 だが驚いたのはこちらも同じだ。
 女の子の握力なんて、せいぜい三十キロそこそこ。
 その程度の拘束が解けないほど俺の能力は弱くない、それは俺が一番よくわかっている。
 なんというか、セキハラさんの手が俺の手に貼り付いていたような感じがしたのだが……。

「……そういえば、さっきバイクにぶつけられた割にはピンピンしてますね」

 いらんことに気が付く奴だ。
 目ざとい奴や鋭い奴は、嫌いじゃないが苦手だ。

「訊きたいことが出来ました。やはりこのまま解放するわけにはいきません」
「ああ。俺の方もだ」

 厄介事に巻き込まれるのは勘弁だというのに、全くもって参ってしまう。
 やはり関わり合いにならぬよう、その場を速やかに離れるべきだったと後悔した。

「私の家に来てもらいます。こんなところじゃ落ち着いて話も出来ませんから」

 こうなった以上、頷く他はなかった。
 どっちみち俺に選択権は無い。
 地獄のように深い溜息が漏れた。
 女の子と手を繋いでいるはずなのに、何のときめきもない。
 それどころか、どこか険悪なムードすら漂っている。
 手と手で繋がってるわけじゃなくて、腕を掴まれているだけだからとか、そういう問題じゃないのは確かだ。

(一体全体、どうしてこんなことになっちまったんだろうな……)

 空いている左手を頭に、俺は軽くうなだれた。