− 第十話「塩分過多(昼食による)」 −

「……さて。メシだな」

 と、倉本が言う。
 その手にあるのは、珍しいことに、レーズンパン二つ。いつもとは違う構成に対し生まれた疑問を、そのまま口にする。

「今日はダブルでレーズンだけなのか、お前」
「ああ。ぶどうパンが売り切れてた」

 深刻そうな顔でため息を吐く馬鹿。若干演技過剰なのはいつものことだ。
 今日はたまたま金欠が多かったのか、それともぶどうパンの搬入がなかったのか。どちらにせよ、目の前にあるのは現実だ。

「まあ、お前ほど金欠じゃねぇよ。俺はお前のエンゲル係数が心配だ」
「……俺も心配だ。特にこれから色々大変そうだからな」

 深々とため息を吐く男二人。この嫌な構図に割り込んでくるのは、それを気にしないマイペースな声だ。

「どうしてもおなか減ったなぁ、って思ったら言ってね? 少しくらいなら、ご飯作ってあげるから」

 月峰が、椅子を俺の方向、後ろへと回しながら言う。男ならそのまま座ったりするんだろうが、その辺、月峰は慎み深い。
 倉本が、レーズンのにおいに顔をしかめながら言った。

「俺おなかすきそうだ。具体的にはレーズンパンに飽きて食えなくなって」
「それはちょっと適応外かなぁ」

 あっははは、と涙混じりに笑う倉本を横目で見ながら、弁当を取り出す。
 かわいげのない、アルミの弁当だ。ドカ弁がよく似合いそうな形でもある。しかし、いつもの弁当ではない。

「お。今日も弁当か。……大きいな?」
「ああ」

 普段の弁当箱と違うのは、大きさ。実に二倍近く。俺の逼迫する財政からひねり出せる食費ではコレを満杯にすることは難しいが、

『こちらにも事情がありますので』

 ――と、朝、関原に渡されたものだ。
 どうやって俺の通学路を知ったのか、とか、そもそも事情は何だ、とか、問いたいことはあるが、毒でなければもう構わない、ってレベルまで俺の胃袋はワガママを言っている。

「……いやいや」

 期待はある。確かにある。だが、あの女のことだ。きっと何かある。絶対に何かある。例えば絶望的に料理が下手とか、俺が持ってきたら不自然なくらい豪華とか。故に期待は最小限。それでも、美味しかったらいいナー、なんて思いながら、弁当箱を開く。
 そして見えた中身は、――黄色だった。
 いや、よく見れば、端のほうに福神漬けがあったり野菜炒めが入ってたりするが、ほぼ黄色だった。
 ……箸を突っ込んで、そうか、と納得する。これは、

「全部マヨネーズか……!」

 確かにカロリーは高い。超高い。しかし俺、別の方面で危険だと思う。主に肝臓辺り。

「豪快だなお前。……なんだその目は、レーズンパンはやらんぞ、俺も飽きたが」
「要らん!」
「欲しいとか素直に言えよ!」
「どっちなんだよお前は!」
「ご飯もり沢山だねー」
「ああそうだな!」

 絶対新手のイジメだ。何か恨みでもあるのかアイツ。
 箸を突っ込むと分かるこのねっちょり感。口に含むと、やっぱりと言うか、こう、――

「――――」

 なんだか色々面倒になってきたので、考えるのを放棄して、無言で箸を進める。

「…………」
「矢神くん、私のお弁当、食べる……?」

 無言を貫き通して、一気にマヨネーズを胃袋に収めていく。一緒に野菜炒めや玉子焼きなんかも胃に入っていくが、味が全く分からない。
 倉本が何かを言っているが、それも聞こえない。ってか聞いてたら勢いを失ってしまう。それ即ちあの女の勝利、俺の敗北。そんなことは許されない、ビミョーに観点とか焦点とかズレてるかもしれないが、とにかく食いきるのが最優先だ。

「…………うぷぅ」

 そして完食。

「おおー」

 拍手をくれる二人。

「スゲーなお前、実はマヨラーだったんだな!」
「マヨネーズ一吸いでご飯一杯分のカロリーなんだって。良かったねー」

 口を押さえながら頷く俺。
 そして倉本から、なにか、紙が手渡される。

「でもよお前、妹分のためだからってそんなに無理することはないと思うぜ……!」

 妹、と、いぶかしむが、表情はほとんど変わらなかったのか、二人は賞賛の表情を変えない。
 とにかく、紙を読んでみることにした。どうにも丸っこい字が、数行連ねられている。

『私、矢神おにーさんのためにがんばって作りました。
 おかずはとーのおねえさんが作ってくれたけど、ごはんは私です。
 きらら197(お米の名前です)と自家製マヨネーズはいいものだよ!』

 二度、熟読。色々思うところはあるが、とりあえず一番優先度が低いものを口にする。

「そうかそうか。自家製マヨだったのか」
「そうなんだ、すごいね、妹さん!」

 月峰の賛辞を軽く聞き流しながら、案外簡単に作れるものだ、っては中学の調理実習で知ってたが。

「あっははは。ホントに凄い妹なんだよ。これは、頭撫でてやらないとなぁ。絶対に」

 主にグーで、両側から挟みこむように、ぐりぐりと。腕力を強化して精一杯に。

「いいお兄ちゃんなんだねぇ、矢神くん」
「はははまぁな。……ん」

 と、携帯のバイブ音。俺の胸ポケットからだ。
 バイブは二セットですぐに切れる。

「メールか?」
「多分」

 俺の携帯は、メールの着信バイブを二セットに設定している。電話を二コールできるようなせっかちなヤツでもない限り――

「お、」

 い、とは口にできなかった。原因は携帯の画面。『着信アリ』『関原後輩』の表示があったため、だ。……マヨネーズが喉まで競りあがりかけたのもあるが。
 呼び出しか、と思うが、マヨ弁なんか持たせやがった女の呼び出しに従いたくはない。ポケットにしまおうとした瞬間、今度こそメールの着信が来た。やはりと言うべきか、関原後輩からのものだ。

『ご飯を捨て終えたら屋上まで』

 もう食っちまったよ、と思うと同時、どういうことだ、とも思う。

「捨てる……?」
「捨てられるのか!?」

 思わず呟いた言葉に、倉本が反応する。その顔は、驚き半分の喜び半分、と言ったところだ。

「誰にだ」
「彼女にだよ」

 彼女、の言い方は、二人称としての『彼女』ではない。

「……待て、倉本。重大な勘違いを感じるぞ俺は。俺に彼女はいないぞ?」
「いやでもほら、この前来たツンツンしたのいるだろ。アレ、お前の彼女だとか聞いたんだけどよ」
「どこの誤報だ今すぐ伝えろ殴りトバしてくるから瞬間で!」
「ま、待て落ち着け矢神!」
「俺は今冷静だぁアアアアアアアアア!!!」

 そう、これ以上なく冷静だ。その噂を流されたままでは、俺が破滅しそうってのが分かるくらいには――!

「矢神くん、倉本くんタップしてるよ、ロープロープっ」
「……はっ」

 気づけば倉本がオチかけていた。俺の両腕は倉本をネックハンギングツリーしかけており、ついでに言えば周囲の視線が白くて痛い。

「スマン倉本」
「……げほ。なんにせよ、噂、もう少しは広がると思うぜ。今のでお前の耳にはもっと入らなくなるだろうが」

 嫌すぎる未来図だったが、それが確実なものだろう、というのはよーく理解できた。今だってほら、『捨てられるってのに反応して……』とか『マジ捨てられそうなんじゃ』とかそんな感じの言葉が聞こえてくる。

「じゃ、じゃあ俺ちょっとトイレ行ってくるな!」

 首を押さえてため息を吐く倉本と、ちょっととがめるような視線を送ってくる月峰に見送られて、俺は教室を出た。

/

 昨日。俺と関原、芥川と綾瀬の一戦の後、俺たちに預けられた美春はといえば、

「先輩の家で彼女を預かれますか?」
「無理だ」

 ――このやり取りで、関原の家に置かれることになった。
 通常大きな制約となる親の存在だが、

「私の家に親はほとんど帰ってきませんし、いても見咎めはしないでしょう」
「私は霧矢くんと一緒に住んでるから大丈夫だよ?」
「それは、芥川とあなただけで住んでいるということ?」
「うん。お母さんとかは、一緒に住んでないの」

 二人とも家族を大事にしなさい、と言うべきだろうか、この会話のとおりだ。

「……まあ、俺もあまり言えたモンじゃないが……」

 ため息を吐きながら、屋上へと続く踊り場へ入る。
 季節は夏に入りかけている。つまり暑い。あと、さっきの弁当が胃にもたれてヘンな汗が。
 汗が目に入ったので、右手でそれをぬぐい、再度上を――と。なにやら飛び降りてくる人影。

「お」
「わぁ避けてそこの人っ!」

 その人影はスカートだった。翻るソレを空中で抑えようとして、姿勢が飛び膝蹴りのそれに近くなる。
 当たれば痛いのは当然だ。加速がついている上にここは階段(しかも俺が下)、芥川のスクーターに轢かれたとき並み、とまでは行かないだろうが――。
 背筋をメインに身体強化。マヨネーズで肝臓を壊さないよう、意識的に強めに、カロリー消費を多く設定する。
 と、屋上側から声。

「――矢神先輩! その女逃さないでっ!!!」

 何だ、と思うが、俺は既に動作を開始している。
 ブリッジの動きで、俺はその少女を回避。締めた足の間から見えたしましまを脳裏に焼き付けながら、手を段に付けて勢いを吸収する。

「ゴメンなさい地味な人! あたし急いでるんでグッバイですよ!」

 姿勢を崩しながらも彼女は上手く着地し、ポーズを取ってそんなことを言ってくる。
 僅かに茶色の入ったショートカットで、その笑顔と合わせて非常に明るい印象を受ける。
 だが、地味な人とはどういうことだ。確かに派手ではないつもりだが――と、眉をひそめたときには彼女は走り出していた。
 早い。

「待ちなさい――!」

 屋上からの声の主、関原が叫び階段を降りてくるが、どうにも遅い。俺の横まで来る頃には、彼女は既にどこかへ行ってしまっている。

「……なに? アレ」
「放っておいてはいけないもの、です。矢神先輩」
「何かあったのか?」
「ええ。何かあった、と言うべき存在です」

 常どおりの即答ではあるが、どうにも歯切れが悪い。

  「……詳しく話してくれよ、関原」
「ここでは、ちょっと。放課後、私の家に来てください」

 いよいよ関原らしくない、と思う。普段どおりなら、『ここでその話はできません』などと断言するはずだ。
 眉をひそめながら、綾瀬の様子も見に行かなくちゃならないしな、と、自分に対しての理由を作る。

「オーケー。今日はバイトないしな。きちんと話をしてもらおうか」
「……はい。ではまた放課後に、矢神先輩」
「アイス用意しておけよ。――それと」
「なんでしょうか」
「助けてくれ。ブリッジ姿勢のままの会話は、こう、辛いというか」

 ――関原後輩の視線が冷える。
 そうですか、と、彼女は俺の両腕に手を添え、よいしょ、と引っ張り始めた。
 言葉と筋力で、俺は必死に抵抗する。

「うおおおおおおお!? 待てお前、止めろ、止めろォー!」
「頭を打ち付けて気絶してしまえばいいんです、私に頼まずとも、ご自慢の友達に頼めばいいでしょうに――!」
「ね、根に持つヤツだなお前はァァアアア!?」

 ……結局それは、倉本に目撃されるまで続いた。
 倉本が浮かべていた生暖かい笑みの意味なんか、知りたくもない。