− 第1話「接点(Y−T)」 −
木造家屋が形作る道が、目の前に広がっている。
昔からの道ではない。観光のために整備された美観地区だ。
普段から観光で賑わうこの通りは、今、常よりも人を集めている。
夏の祭り。盛大な、県外にもその名が届く規模の祭りだ。
「いい天気――」
思う。祭り日和だ、と。
人は多い。故に喧騒がある。
夏の只中。故に熱気がある。
先日の雨。故に湿気がある。
さまざまな事柄を、身体は不快だと叫ぶ。けれど、心は空のように澄み渡っている。
この空気こそが祭り。だったら、それを忌避する理由なんかどこにもない。
燦々と光る太陽。その下を、神輿が来る。歓声と快哉を引き連れて、だ。
神輿は、家屋のように大きく、金箔が多く貼られたものだ。十人以上がその上に乗り、騒いでいる。
昔は、何もかもを『大きい』としか形容できなかった。それは今も、あまり変わらない。
むしろ、その大きさを具体的な尺度で測れるようになったから、実感としては更に大きくなっているように思う。
この神輿は、私にとって祭りの象徴。
笑みを浮かべ、徐々に近づくそれを眺めた。
「……うん」
きっと今日も、楽しい日になる――と。そう思った瞬間、背後からの衝撃が来た。
思わずたたらを踏み、しかし人ごみによりかかって倒れず耐える。
ちょっと迷惑そうな顔をして振り向いた人に、ごめんなさい、と反射的に謝罪を告げる。
祭りだし、こういうことはよくある。しかし、怒らないでいるべきか、と言われると、否だと思う。
わずかな苛立ちをもって、衝撃の方向を見る。
「……痛いな、」
……今度は、心が衝撃にさらされた。
それは、黄色かった。全身黄色だった。そして、明らかに着膨れていた。
見ているだけでも、外気温とは隔絶されている、と分かるような服装だった。
――それは。今すぐにでも北極に行けそうな、防寒服だった。
「……は?」
なんなんだろうか、と見守る周囲の目を気にせず、彼(?)は腕を振り回すようにして、祭りを突っ切っていく。
迷惑な人だ、と思う。けれど、祭りだし、人も集まる。ああいう人もたまにはいるだろう。それに、趣味を否定するほど傲慢でもないつもりだ。
まあ、正直に言えば、あんな人とは関わりたくないってことだけれど。
ため息を吐き、ぶつかったときに擦りむいたのか、少し痛む腕を押さえる。
とにもかくにも、今は祭りだ。楽しまないと損だろう、と気を取り直し、神輿を見る。
距離はかなり埋まっている。神輿に乗る人の表情を、はっきりと視認できる距離だ。
笑み。
私も浮かべている表情が、よりはっきりとした快活さを伴って、表出している。
一人で来ているのが勿体ない、と。真剣にそう思うと、笑みが苦笑に変わった。
「……あーあ」
まあ、こんな年があってもいい。
これからも祭りに来ることはできるし、きっと来年は、今年より楽しいだろうから、
「ひぁ…………!!!」
……と。どこかから、悲鳴が聞こえてきた。
引ったくりか何かだろうか。それとも将棋倒しでもあったのか。
しかし、それにしては、この悲鳴、距離がばらばらで、数が多すぎる気が、する。
……ふと、浮遊しているような感触が背筋を走る。同時、肌が膨らむような感覚も。
『嫌な予感』や『虫の知らせ』が来る直前のような、不快な感触だ。
悲鳴はどんどん近づいている。
逃げるべきだ、と、拡大した感覚が言う。
まず空気が違う。この場にあるのは、永遠に墜落しているような、ぶぞぶぞとヘドロを掻き分けるような――肌を粟立たせるような、空気だ。
だが、どこに逃げるべきだと言うのか。
感覚は全方位から。逡巡し、無駄にきょろきょろと周囲を見回した。
「……あれ?」
その音に、ふと気づく。
ちりちりと、何かが燃えるような音だ。それは多重で、周囲から聞こえてくる。
音は徐々に加速していく。
止まらない。
強く、揺らめきを持つ音が、周囲から――否。
「……あれ、」
周囲――だけではない。
私からも。
正確には、私の腕からも。
「え。」
……燃えている。
私の前腕から、腕全体が、熱は無く、しかし灰になる勢いで、その範囲を広げながら――。
「あ、わぁ、あ、あああああああああああああ――!!!」
……悲鳴が連鎖する。
その中の一員になって、私は――
/
男が、叫んでいる。
『聞け、諸君! 聞くがいい、賢明なる市民諸君!!』
眉の力は強く、
『彼らは! 明確な敵意を持っている!』
腕の振り上げは、整然と、しかし熱意をもって行われている。
『敵意を打ち崩すには! 寛容と忍耐では! 最早不可能である!』
咆哮は敵意によって行われている。
『私が当選した暁には! "UCIS"能力者を取り締まる法案を提出する!! "UCIS"能力者を!!』
政治を騙るその眼は、どこに向いているのか――。
/
うるさい車だった。大仰な身振り手振りが、正直目障りだった。
取り締まられろ、とは思うが、口に出して面倒なことになるのも嫌だ。
目はそらせばいい。耳はふさげばいい。どちらもできないなら、逃げればいい。
いや、まったく、簡単な話なのだった。
人がいないいい感じのところまで逃げてから、疑問を口にする。
「同じコト叫んでるだけなのに、なんで支持者が集まるのか分からねぇけどなぁ……」
ああいうオヤジ政治家の家族にUCIS能力者がいたらどうなるのか、と思うと、その面倒さに吐き気を催すレベルだ。
とてもゴシップとして楽しむ気になれない。
まあ、なんにしろ――UCIS能力者も同じ人間だ。
「……差別って奴だろ、めんどくせぇなぁ……」
それはそれとして、このUCIS能力者を取り締まる気運の高まった事件――昨年夏の事件は凶悪だった。
凶悪犯罪。と言うか、あの一件はもはやテロリズムだ。
UCIS――『特異能力誘発症候群』を用いて起こされた事件。
犯人はその能力で人々を燃やし、二桁を超える勢いの単位で死者を出した。
能力者本人の不満によって起きた事件だと言うが、さて。事件に対し、『日本特異能力連盟』――日特連は、何かコメントを出していたんだったか。
「日特連は中々いい噂聞かねぇけどなぁ」
まあ、あの連中がUCIS能力者の最大の後ろ盾ってのは間違っちゃいない。
とりあえず俺は、植物のように平穏な生活を送りたい。それだけで十分だ。
「くぁ……」
あくびを一発。足が向くのはバイト先だ。
つらつらと家計について考えつつ、ゆっくりと歩いていく。
/
「おーい、矢神<やがみ>君、ちょっとコレ運んでくれないか」
「いいですよー」
この場のリーダーたるおっちゃんに、コレ、と指差されたものはタンスだ。それも、なにやら高級品くさい、指紋を付けるのもためらわれるような一品。
しかしそもそも、このセキハラさんのお宅がとても大きい。なので適材適所とか相応しいとかそんな感じの諦念が粛々胸の中を進行中。
所詮俺はただの貧乏学生なのであった。心の中できっと流れている涙を拭きつつ、肩周りを軽く動かしておく。
「一人で大丈夫かな?」
「ええ、多分」
ちょっとバランスとりにくそうですが、とは言わない。
頼りになるヤツだと思われていた方が、給料も上がりやすいだろう、と。その計算が先に立つ。
タンスの前にしゃがみこみ、せぇの、と気合一発。
「あ・よっこいしょーっ」
おお、やはりと言うべきか、ずっしり重くて高級感がある。落としたら弁償金が来るか、と軽く恐怖を覚えつつ荷物を運んでいく。
「矢神君、君はやっぱり力があるなぁ」
「ええ、何でかは、よく分からないですけど」
苦笑し、玄関に踏み入る。
玄関は広いので、向きさえ気をつければぶつかる心配もない。
ふとしたことで庶民の圧倒的敗北を感じながら、家の中へと入っていく。
/
「違います」
――と。
そう声がかかったのは、タンスを下ろして腰を伸ばしているその時だった。
「そのタンスは母の部屋へ持って行ってください」
「あ、申し訳ありません」
声をかけてきたのは、俺と同じくらいの少女だった。
引越しだなんて動き回る上に埃がたつ作業のせいだろうか、Tシャツにジーパンと色気のない服装で、短い髪はちょっと無理に括られている。
……それにしても、と彼女を見た。小さい上に、声がやたらと冷たい女だ、と。
「何か」
「いえ、すみません、その――」
ざわざわと、胸の内側が不快感を湛える。
このクソ重いタンスを、バイトだから、と耐えて運んできた俺に、その言い草はないだろう。いくらなんでも、言い方ってものがある。なにかワンクッション置くのが人の常じゃないかと思うのだが、俺は間違っているのだろうか。
軽く睨んでみたが、……その目は冷たく冴えている。これは睨んでも効かないな、と侮蔑交じりの視線を投げかけつつ、表面上はバイト君らしく、へりくだった声を出した。
「……お部屋はどちらでしょうか」
「一階の奥です。母がいますので、あの人に聞いてください」
「はい、分かりました。それでは」
あよいしょ、とタンスを抱えて、部屋を出て行く。
できればこの女とは二度と会いたくないな、と。そう思いながら。
/
「何でか分からないですけど――か」
夜の街を歩きながら、思う。俺の家に続く、歩き慣れた道だ。車通りも少ないこの道は、物思いにふけりながら歩くには、ちょうどいい道だった。
バイトを始めてから日は浅いが、しっかり役には立っている、と思う。
だが、面倒くさいことを避けるためとは言え、やっぱり嘘は良くない。
「あー、ボーナスとか出てくれねぇかなぁ……」
そうなったら、隠していくことも正当化できる。これは生活のためだ、と。
――そう。俺のUCISは、ひどく燃費が悪い。
『Acquired Unusual capability induced Syndrome』――後天性、特異能力誘発症候群。
俺の能力は、『肉体強化』だ。
発現したのは成長期真っ只中。食い盛りと誤魔化せたおかげで家族にすらバレていないが、
『近くにユーシス能力者がいたら注意しなさいよ』
……昨年夏の事件があってからこんな話や電話が来るようになったので、若干心苦しい。
と。
よく見たら、信号が赤だった。
「うわ、やべぇ」
やはりボーっと歩くのはいけない。急いで渡らな、
/
飛んでいた。
とりあえず飛んでいた。
勢いよく回転する視界の中で見えたのはバイク――と言うか、スクーターだ。
アレに轢かれたのか、と思ったが、それにしては無音だった。
ブレーキの音どころか排気音すらないだなんて、不自然すぎる。
滞空時間はこの段階で二秒程度だろうか。アドレナリンが全開なのか、時間の尺度がよく分からない。
上昇は頂点に達したのか止まり、浮遊感とともに下降が来る。
「お」
そこで、痛みが来た。膝と肩を中心に、波のように伝播する痛みだ。
眉が寄る。痛みで、時間が更に引き延ばされていく。
そのせいだろうか。具体的な思考が生まれた。
……スッゲー、飛んでるぞ俺。
ブランコ一回転を目指してがんばってすっ飛ばされたとき以来の感覚だった。
飛行機とはワケが違う。これはそう、大砲で打ち出されたときとかそんな感じなのかも知れぬ――と。痛みの中なぜか和やかに思っていたら、とうとう地面が近づいてきた。
……とりあえず、漫画か何かで見たように後頭部と首を両手でカバーする。怪我怖いし。
覚悟完了。約四秒間の砲弾のごとき滞空の終末は、当然、砲弾のごとき勢いでなされる。
「おぷばっ」
「ぐぁっ!」
野郎の悲鳴は二重奏だった。実に美しくないが。
一瞬遅れて、けたたましい金属音が通りに響いた。
がばっと起き上がって視認すると、スクーターがガードレールに突っ込んでいた。
幸いと言うべきか、人通りはない。
で、その操者は――と、見ると。なにやら唸りながら、ふらふらと立ち上がるところだった。
……さて。これは、どうしたものか。